小さな幸せ

日記、雑記、日々の事をそのまま書いています

昔話~人生最悪の日~3

 

続きです。

 

 

救急車が到着してからは本当に記憶があやふや、というかどれが夢で

 

どれが現実だったのか今でも分からないんです。

 

記憶の中では途切れ途切れ、断片的に覚えてて。

 

会話もそうです。

 

多少は違ってるのかもしれませんが、あくまでも私の記憶の中で、なので。

 

 

救急隊員の方々が、狭い玄関の所で一生懸命に心臓マッサージと

 

心肺蘇生をされてて、病院の手配をされてるのを見守っていたと思います。

 

ただ・・・なんというか、その場の空気というんでしょうか。

 

ダメなんだってやはり薄らとは感じとっていました。

 

どれぐらいの時間が経っていたのかは分かりません。

 

気がついたら救急車に一緒に乗っていました。

 

救急隊員の方に

 

「ご主人に声掛けて下さい」

 

と言われたので

 

一生懸命に名前を呼びかけていました。

 

「戻ってきて」

 

「お願い」

 

「ひとりにしないで」

 

多分、こんな事をずっと言っていたと思います。

 

病院まで5分ぐらい?だったような気がします。

 

すぐに、処置室に運ばれていって

 

私はただ、ボーッと見送ってたと思います。

 

シャワー浴びて髪も乾かさない状態だったので、半分髪は濡れていた状態で。

 

看護師さんに

 

「こちらでお待ちください」

 

と言われて小さな部屋で待っていました。

 

ずっと

 

「お願い、帰ってきて」

 

「いやだいやだ」

 

これしかなかったです。

 

合間に受付の方が来られて、名前や住所を聞かれたり

 

後は・・・状況?とかを聞かれたような気はします。

 

到着してから多分1時間超えた頃にお医者様が来られて

 

顔を見て「あぁ、ダメだったんだな。」と察しました。

 

お医者様から

 

「努力しましたが・・・。到着した時点で呼吸が全くなく、手の施しようがなかったです。僅かでも呼吸があれば、なのですが。」

 

と仰られて

(多分の記憶の中ではこう言われたと思います)

 

叫びたい衝動を抑えながら

 

「ありがとうございます。」と言うのが精一杯でした。

 

後は死後でもコロナ検査をしなければいけないのと

 

まだ他にも色々とあるので、会えるのは時間がかかるとの事なので

 

別部屋へ移動して待つ事に。

 

そこからは色々なとこへ連絡しなければ、とあちこちへ電話しまくっていました。

 

ダンナの会社、娘の職場、義実家、実妹、その他思いつくとこへ。

 

1人が嫌で。

 

どこでもいいから電話かけ続けてないと

 

正気が保てなかったのです。

 

電話をかけながら

 

「なんで?」

 

「私、何かした?悪いことした?」

 

「ダンナが悪いことした?」

 

とずっと考えていました。

 

 

 

53歳は早いです。

 

早すぎます。

 

理不尽過ぎて、思い出すと今でも心が苦しくなります。

 

 

 

今回はここまでにします。

 

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

昔話~人生最悪の日~2

前回の続きから。

 

 

朝、いつもの何気ない会話をして

 

私は二度寝に突入(これが1つ目の後悔)

 

ダンナは前日から「皮膚科に行って塗り薬をもらってくる」と言ってたので

 

私が寝ている間に多分、出かけたと思うのです。

 

そして、私が目が覚めたのが確か10時半は回ってたかと思います。

 

起きてダンナがいないので「あぁ、予定通り病院行ったんだな」と思い

 

私はシャワーを浴びに(2つ目の後悔)

 

 

多分、私がシャワー浴びている間に帰ってきたんだと思います。

 

全く気がつきませんでした。

 

シャワー浴び終わって、着替えて部屋へ戻ると

 

ダンナのジーパンが脱ぎっぱなしで置いてありました。

 

ですけど、人の気配が全く感じられないので

 

私は呑気に「ジャージに着替えてコンビニでも行ったのかな?」と思っていました。

 

何気なく台所へ行くと、飼い猫がトイレの前で座ってて

 

私の顔を見て小さく「ニャー・・・」と鳴いた瞬間

 

心臓がドキッとして、トイレの中にいる?と。

 

そこからは少しあやふやな記憶でもあるのですが

 

トイレのドアを開けようとしました。

 

鍵がかかってます。

 

頭の中は「どうしよう、どうしよう」とパニック。

 

コインで開けられるタイプのドアだったので小銭でドアを開けました。

 

開けた瞬間、便器に座ってるダンナが崩れ落ちて半分外に。

 

ハッキリ覚えているのは、手に持ってたスマホが左手から落ちていくのを

 

スローモーションのように見えていた事です。

 

多分、名前を呼んでいたと思います。

 

頬を軽く叩いていたと思います。

 

自然と脈を確認していたと思います。

 

頬を触った瞬間に

 

「あぁ、ダメなんだ」と

 

「大丈夫、目をひらく。帰ってきてくれる」の

 

両方の感情でした。

 

でも頬が、体が、もう既に冷たくなりかけていたんです。

 

脈もなかったのです。

 

 

どうして二度寝したんだろう。

 

どうしてシャワーなんか浴びたんだろう。

 

「たられば」なのは分かってても

 

しなければもしかしたら・・・この二点が今でも大きく後悔しています。

 

 

次に救急車を呼ばなければと思い、119番。

 

電話で「ご主人を横にしてください。出来ますか?」と言われ

 

「無理です。外に出せません」の繰り返しだった気がします。

 

 

多分、救急車が到着するまで5分もかからなかったんだと思います。

 

でも私には1時間・・・2時間にも感じたと思います。

 

救急車のサイレンの音が聞こえた時は安堵とやはり不安が僅かにありました。

 

 

 

今回はここまでにします。

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

昔話~人生最悪の日~

生きていれば「人生最悪の日」ってあると思うんです。

 

皆さん、それぞれ思い当たる出来事ってあるのではないかと。

 

私は今までも、そしてこれからも、2021年11月5日が「最悪の日」になります。

 

この日を境に私の生活も生き方も、そして多分性格も変わったと思います。

 

 

私には婚歴が2回あります。

 

1度目は22歳の時に結婚して、18年ぐらい連れ添って、2人の子供をもうけて離婚しました。

 

原因は・・・語ると長くなるし、あまり思い出したくないので。

 

気が向いたら、書くかもしれません。

 

お互い未熟で、お互いが悪かったと思っています。

 

 

2回目は死別です。

 

それが2021年11月5日です。

 

自宅のトイレで急性心不全で亡くなりました。

 

その日の事はハッキリ覚えてる部分と、靄がかかってる部分とがあります。

 

あの日は、お互い休みでした。

 

休みだからといって、特に予定もなく(コロナ禍でもあるので)いつもの通り

 

ダラダラと疲れを取りながら過ごすんだろうなぁと思っていました。

 

ゴミの日だったので、ステーションまで捨てに行こうと思い起き上がったら

 

ダンナは起きていて(休み関係なく早起きする人)

 

「ゴミ?持っていくからもう少し寝てていいよ?」

 

と。

 

私も

 

「そう?じゃあ、お願いするわ」

 

と。

 

帰ってきて

 

「ただいま~」

 

「おかえり~ありがとう~」

 

これが最期の言葉になりました。

 

今でもこのやり取り、表情、声色、覚えています。

 

きっと、ずっと、私が人生を終えるまで忘れません。

 

色々、後悔する事が山ほどあるのですが

 

こんな何気ない日常会話が最期だなんて、思いもしないですし

 

神様は残酷だといまだに思います。

 

伝えたい事は沢山あります。

 

感謝や愛情も不満も文句も、まだまだ言えてなかったのに。

 

知り合って、付き合って約11年。

 

籍を入れてから4年。

 

早すぎました。

 

思い出して、話逸れてしまいました。

 

そして、書く事で整理したいのですが一気に書くとやはりしんどくなるので

 

この話は合間合間にゆっくり書いていきたいと思います。

 

 

全て書くのに相当な時間かかるかもしれないのですが

 

もし、読んでいただける奇特な方がいらっしゃればありがたいと思います。

 

ではでは・・・。

無性に・・・

もう絶対に

 

二度と

 

現世では

 

逢えないから

 

せめて

 

夢の中で

 

逢いたいのに

 

 

 

1年過ぎても

 

逢いにきてくれないのは

 

何故なの

 

絶対に

 

忘れる事が出来ない

 

 

 

この世で

 

一番

 

大切な貴方

 

 

毎朝、起きては

 

逢えなかった事に

 

寂しさを覚える

 

日々