小さな幸せ

日記、雑記、日々の事をそのまま書いています

大丈夫でしょうか

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先程、横になりながらスマホ

いじっていたら家がすごくゆっくり、ゆっくりと揺れて

「あ、地震だ」

と分かったのですが

体が動かず。

体感1分ぐらい揺れてた気がします。

石川県、富山県の方々が心配ですし

ほぼ日本海側全域に警報・注意報が発令されてます。

テレビで情報をと思って見てますが、

少し怖く感じています。

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この後、予約投稿してたのですが

一旦やめて落ち着いてから

改めて投稿したいと思っています。

 

どうか、どうか、被害が大きくなりませんように。

祈るしか出来ないです。

吐き出し

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ナンバリングはしてますが、今回はただただ心の中を吐き出すだけのブログです。

なので、とっちらかった文章になるかと思いますので、もし読んでいただける奇特な方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

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もうすぐ命日がきます。

まだ、骨壷は自宅にあります。

写真もあちこちにあります。

お洋服も(下着や靴下も)手付かずで残っています。

「無理して整理する必要ないよ」

皆さんそう仰います。

分かっています。

でも、どこかで、何か区切りを付けないと私は本当に前に進めないのではないのか?と思うんです。

どう足掻いても、泣き叫んでも、私が愛したあの人はいないんです。

戻ってこないんです。

寂しくても、辛くても、私の手をギュッと握ってくれる事もないし。

抱き締めてくれる事もないし。

写真に喋りかけても返事をしてくれる事もないし。

脳内で勝手に会話をしていますが・・・正直言って、虚しいです。

沢山、愛情をもらいました。

喜怒哀楽を教えてもらいました。

調べる楽しさ、人生を勉強する楽しさも教えてもらいました。

行った事ない場所へいっぱい連れて行ってもらいました。

私の知らない世界の話を沢山聞かせてもらいました。

私の為にならって体を張って護ってくれた事もありました。

一緒になって戦ってくれた事もありました。

感謝もしてます。

今でも大切で愛おしい人には変わりないです。

けど・・・けど、なんです。

この気持ち、感情をどう表現していいか。

言語化していいのか分からないんですけど。

もし、あの「人生最悪の日」がなければ?

今の私と主人はどう生きていたんだろう。

どう過ごしていたんだろう。

考えても仕方ない「たられば」をずっと考えてしまいます。

なので、自分に鞭を打ってでも区切りを付けなければいけない気がするのです。

思い出は思い出。

主人からもらった沢山の事をしっかりと抱えて、私は一歩前に進みたいんです。

決して主人を忘れたいとかそういう事ではなくて・・・。

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これは命日が近いから?

私の情緒が不安定だから?

悲劇のヒロインぶってる?

分からないんです。

明日になればこの感情も別方向へいってるかもしれないけど。

今は本当にこの気持ちでいっぱいいっぱいなんです。

 

ではでは、また。。。

昔話〜人生最悪の日〜7(終)

続きです。

正直、本当に全く自分の中での記憶がないというか抜け落ちてるので、どう書こうかずっと悩んでいました。

 

後々、妹や周辺の人達からこういう状態だったよって聞かされた部分を思い出し思い出し書いている状態です。

 

覚えているのは11月にしては気温も高くすごくすごく綺麗な青空だったって事だけです。

本当に雲ひとつない空だったんです。

後は後半で書きますが、私的にすごく鮮明で心に残ってる出来事だけです。

 

そして、聞かされて『そんな行動したの?』って気持ちと『あぁ、きっとそうなんだろうなぁ』と思った行動がありまして。

 

火葬するという時に私、泣いて叫んで暴れたらしいんです。

「いやだ!連れて帰る!一緒に帰る!お家に帰る!」って。

5分間ぐらいずっと棺に抱きついて離れなかったらしいです。

 

考えたらもう触る事もなにも出来ないんですよ。

これでもうホントのホントに最期なんだと思ったらこの行動は自然な行動な気はします。

 

だからあの時の私なら泣き叫んでても不思議ではない状態だったと思います。

 

そして、骨壷を抱いて『"私のクマさん"(周りに私は主人の事をそう言ってノロケてたんです)がこんなに小さくなってしまった』と思ったのも今書いてて思い出しました。

 

ここからがすごく鮮明に記憶してる事なのです。

最後、全てが終わって車に乗り込んで出発するまで私は助手席に座っていたんです。

ふっと、空を見上げたら1羽の鳶が飛んでいたんです。

その時『〇〇?(主人の名前)』ってボソッと口に出したら

鳶が私の頭上まで来て数回、旋回したんです。

 

誰も信じなくてもいいんです。

きっとあの鳶は主人なのです。

思い込みでもいいんです。

あの時、確かにあの鳶と私は目が合ったんです。

そして『大丈夫だよ、離れてても心は側にいるよ』って言われたんです。

 

あの時間は忘れようにも忘れられない光景です。

 

頑張ろ・・・とは思わないですが、挫けそうになった時にふっと思い出すのは

この鳶と私の時間なのです。

 

自ら人生を終わらすと病気で亡くなった人とは天国で会えないと聞いたので、私はまだもう少し生きていきます。

自分の人生をしっかりと全うする為に。

天国で主人と会える事を願いながら。

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何ヶ月にも渡って忘れないように記録的な意味でこの話を書いてきました。

 

もし、読んでいただいてる方がいらっしゃいましたら本当に本当にありがとうございました。

こんな自分本位な文章を読んでいただいた事に感謝しかありません。

 

主人と過ごした時間は短かったですが、確かに私はその間は愛されていました。

まともな人生を歩んでこなかった私に様々な経験をさせてくれました。

物事を知っていく喜び、勉強する楽しさ、喜怒哀楽の出し方のヒントを教えてくれたのも主人でした。

 

天国で再び会えるように今をもがきながらも笑顔で、私なりに幸せになっていこうと

この話を書きながら改めて思いました。

 

重ねてになりますが読んでいただいてありがとうございました。

 

きゃら

昔話〜人生最悪の日〜5

続きです。

 

看護師さんに案内されて、主人がいる部屋に入りました。

 

ベッドで横になっている顔は・・・寝てるようにしか見えませんでした。

 

苦しそうな表情ではなく、本当に穏やかな顔でした。

 

違うのは呼吸がない事だけでした。

 

その姿を見ても涙が出てこないんです。

 

悲しいですし、もう目を開ける事も

 

声を聞く事も

 

喋る事も出来ないのに。

 

横にいる娘は静かに泣いていました。

 

お医者さまから検査の結果とかを言われた気はするのですが、

 

頭に入ってなかったです。

 

「側に行ってお話してあげて下さい」

 

と、言われてやっと歩く事が出来ました。

 

体や顔を触りながら、耳元に口を近付けて喋ってたと思います。

 

何分経ったかは分からないですけど、

 

葬儀社の方が到着するのを待たなければいけないので

 

病室を出て、別室に移動しました。

 

その時に、実妹が病院に到着したというので玄関まで向かいに行きました。

 

実妹の姿を見た瞬間、張り詰めていた糸が切れたんでしょうか。

 

抱きついて大泣きに泣いてしまいました。

 

実妹も泣いていたと思います。

 

しばらくして、葬儀社の方が来られて

 

斎場へと移動しました。

 

お恥ずかしながら、私は殆ど頭も体も動けない状態であったので

 

段取り、打ち合わせなどは実妹が率先してくれました。

 

・・・今でも感謝しています。

 

葬式は家族葬でするのは、決めていたので

 

簡単な打ち合わせをしてその日は、一旦帰宅する事になりました。

 

帰宅してからも実妹が色々と気遣って、動いてくれていました。

 

「お姉ちゃん、少しでも食べないと」

 

と、実妹は言います。

 

私は

 

「いらない。食べたくない、飲みたくない」

 

と、答えたと思います。

 

そんな私をそっとしてくれて、外に買い物に出て

 

麺類とか、ポカリとか、ゼリー系を買ってきてくれて

 

「お姉ちゃん、冷蔵庫に入れておくね。食べれそうなら食べてね。」

 

と。

 

それからは夜遅くまで、翌日の打ち合わせとか

 

葬儀が終わった後の話をして就寝しました。

 

人間って・・・というか、私だけなんでしょうけど。

 

悲しくても、お腹空かなくても、眠気はくるんですね。

 

いまだに、これだけは不思議に思っています。

 

布団の中に入った瞬間から、涙がとめどなく溢れでて

 

ティッシュでは追いつかなくバスタオルで顔を覆いながら

 

いつの間にか寝ていたんです。

 

泣き疲れたから?

 

でも、感覚的にはそうではない気がして。

 

きっと、主人が・・・と思わないでもないです。

 

 

今回はここまでにします。


読んでいただいてありがとうございます。

 

昔話~人生最悪の日~4

続きです。

 

思いつくとこへ電話し続けて

 

し続けて

 

途中から目眩と吐き気に襲われ、看護師さんに言って

 

小さい簡易ベッドがある部屋で横になっている時に

 

警察の方が来られました。

 

詳しくは分からないのですが、病院以外で亡くなった場合は

 

事情聴取?をしなければいけない・・・というニュアンスの事を言われた気がします。

 

私は聞かれた事はそのまま伝えました。

 

その日の朝からの状況とか、見つけた状態とか。

 

その中で、警察の方がすごくすごく私に気を遣っていただいてて

 

言葉を選んで喋っていただいたのが記憶に残っています。

 

一通り話を聞かれた後に

 

「奥さん、大変申し上げにくい事を今から言わなければならないのですが」

 

と言われ

 

「もし、正確な死因を知りたければ"司法解剖をするのですが。どうされますか?」

 

と言われました。

 

司法解剖をすると言うことは、ご主人様のお体にメスを入れると言う事で」

 

と。

 

その後の言葉はハッキリ覚えていません。

 

警察の方は私の気持ちに多分、配慮されたんだと思います。

 

要するに『これ以上、主人を傷付けない方がいい』と。

 

それには私も同意でした。

 

心臓発作を起こしたんだろうとは思っていましたし。

 

とにかく、早く主人に逢いたい。

 

側にいたい。

 

顔を見たかったので、時間を取られたくなかったのです。

 

警察の方はとっても親身に、私の心身にも気遣っていただいて

 

その点は今でもありがたいと思っています。

 

警察の方が帰られてからしばらくして

 

娘が職場から病院に到着したとほぼ同時刻に

 

病院の諸々の検査が終わって逢えますと言われたので

 

主人がいる病室に逢いに行きました。

 

 

 

今回はここまでにします。

 


読んでいただいてありがとうございます。

3月11日

みんなが忘れる事がない日です。

 

私は直接的に被害があった訳でもないですが

 

当時遠距離でお付き合いしてた彼(亡き主人)が

 

茨城県に住んでいて、仕事の最中でした。

 

地震が起きたとの速報を見て、連絡を取りたかったのですが

 

電話は繋がらない。

 

向こうもなんとか連絡を取りたかったようですが無理で。

(無事なのを伝えたかったようです)

 

やきもきしながら、でもどうしようもなく家で1人待っていたら

 

彼の友人(関西在住)から私宛へ連絡があり

 

そこでやっと安否確認が取れた次第です。

 

どうやら趣味仲間でやり取り出来る掲示板を元々作成してたようで

 

そこ経由で私への伝言を書き込んだのを後で知りました。

 

掲示板様々でした。

 

私も関西在住の友人とアドレスと電番交換してたのもよかったです。

 

彼自身も、職場も特に大きな被害はなく

 

・・・なんなら、揺れてる真っ最中の建築中のビルの6階で

 

外仕事してたようでした。

 

部下たちは帰宅させて、自分1人で。

 

そこは後で怒りましたが。

 

ただ、水道は止まってて

(電気は大丈夫なようでしたが)

 

食べ物、飲み物を手に入れるのに相当苦労はするし

 

ガソリンを入れたくてもスタンドに長蛇の列で大変だとも。

 

私もなんとかしたいと思っててもどうしようなく

 

毎晩、Skypeで会話してて辛かった記憶があります。

 

普段はどうしても疎かになりがちですが

 

防災意識を改めて持ちたいと思いました。

 

 

余談なのですが、

 

主人が生きていたらこういう話もしてたんだろうなぁと。

 

私の話を、考えを、じっと聞いてくれてたんだろうなぁと。

 

そして、一通り聞いてから自分の話とか

 

考えを伝えてくれてたんだろうなぁと

 

思うと、心がぎゅうっと締め付けられるような

 

感じになり辛いです。

 

涙が出てきます。

 

普段はそんな事はないんだけど、

 

ちょっと関連する出来事があったりすると少し、気持ち落ち着かなくなります。

 

 

ではでは。。。